最終調整
稽古も残り少なくなってきてしまった。 しかし、今やっている稽古はまだ会話のつなぎを確認しながら、ちょっとした動きを変えたり……そんな地道な稽古が続く。
メインで演じることになる歪の三人。
彼女たちは会話でのアンサンブルや呼吸のやりとりはかなり上手にできるようになっている。
これをちゃんとできるというのはすごいことだし、私にとっては最も信頼できる部分だ。というより、それができないと、私の芝居は全く面白くならない。生命線だといってもいい。
活躍している俳優さんとかでも、意外とダメな人が多い。
勝手な呼吸で気持ちよく演じられてしまって、困ることがある。
プロデュース公演などで名前のある人を揃えても、演出で苦労する時は、呼吸ができない人が多い時だ。
私は自分の劇団である、MONOのメンバーをこの点で最も信用している。
で、歪の三人は「俳優育成講座」を経て、去年の「ソラミミホンネレソラシド」をやり……その部分はクリアしつつある。嬉しい。
これは意識してやらないと身につかない技術なのだ。
まるちゃん(石丸奈菜美)は、自然な演技はできるのに、去年の「算段兄弟」の時はまだこの呼吸のつなぎができなかった。あっくん(阿久澤菜々)も演技は上手だったけど、おかしなところで息継ぎをしてしまう癖があった。今回、二人とも呼吸のつなぎはほぼ完璧になった。
明日香(高橋明日香)は私の演出で芝居をするのはすでに9回目になるので、その点ではMONOの役者と同じように呼吸に関しては出来ている。
あと、三人に私が求めているのはリアリティーだ。
しかし、それだって闇雲にやればいいというものではない。
「自然に」「気持ちを込めて」などというダメだしでは全く意味がない。
細かい仕草とか、トーンの確認ばかりしている。
この積み重ねが、リアリティーを生むのだ。
私は稽古が積まれていない芝居がとても嫌いだ。
テンションに任せて気持ち良く演じる役者も嫌いだ。
かといって、ただ段取りだけの芝居はもちろん観ていて面白くない。
役者が芝居にちゃんと体重が乗っていないとダメだ。
このことと感情で演技するのとは全く意味が違う。
感情なんてものは出てくるものであって、出すものではない。
私はよく稽古場で「モチベーション」という言葉を使ってしまうが、私が大事にしているのは、まさしくこのモチベーションだ。
窓を開ける、椅子から立つ、そのセリフを笑っていう……どんな動きや言葉にも必ず動機づけがある。その動機の確認をしつこくする。
だから最終調整といっても、結局はこうした地道な稽古をするしかないんだよね。
写真は唯一、派手に動く部分だ。
けれど、ここだって気持ちよくやるだけではダメだ。
こうやって書いていると、私の芝居の創り方は本当に地味だ。
けれど、面白いものを創る過程は、いつだって地味なはずだ。
地味にやる。
しつこくね。